いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

新年2本目書いてみた

更新です。

今日の話題はこれで↓
「ゲームに参加するということ」

はい、また変な話が始まります。

前回の記事とも関係する話です。


ここでの「ゲーム」は別にテレビゲームやスマホゲームやパソコンゲームに限りません。

株取引やブログのpvの伸ばしあい合戦なんかもひっくるめて「ゲーム」と呼んでいます。


そのココロは、「1つの価値軸を共有した集団の中において、その価値軸上で他者を優越するための営み」であること。


つまり、「ゲームに参加する」というのは、ある価値の軸に乗っかって(共有して)、その軸の上でひたすら上位を目指すことになります。



思うのですが、人間の営みは全てゲームになり得ますよね。

「お金持ちになりたい」って願望を持つ人が集まれば、「お金ゲーム」が自然と始まりますし、「美味しいものを食べたい」って人が集まれば、「美食家ゲーム」とか「料理人ゲーム」が始まる。

あるいは、「異性にモテたい」って人が集まれば、「自分磨きゲーム」なんかが始まるし、「生きたい」って人が集まればそれこそ「サバイバルゲーム」が始まる。

結局、みんな何かしらのゲームに参加しているでしょう?


でさ、こういう意味でのゲームって相対的な関係が重要であって、自分の絶対的な位置はさして重要ではないとすると、上に挙げた「上向きの」ゲームだけでなくて、もっと下向きのゲームもあり得るんですよね。

例えば、「恥のかかせあいゲーム」とか、「罵倒しあいゲーム」とか(要は喧嘩か)。
これは、どういう価値軸を共有したゲームかはズバリとは言えないのだけれど、おそらく「恥をかきたくない」とか「自尊心を傷つけたくない」っていう軸が根本にあるんじゃないかな。

私は、前の記事に書いた「こじらせ」とか「マウンティング」とか、あとは「意識高い系」みたいな言葉って、こういう下向きゲームの中の流行語なんじゃないかなって思うのです。


あるいは、下向きゲームの参加者を募る釣り文句。


いじめだって、積極的にコミットしてる人はきっと、「そういうゲーム」をしてるのでしょう。
絶対に勝てる(と思っている)ゲームだと。




みんな何かしらのゲームに参加せざるを得ない。
でないと、「人生ゲーム」から落っこちてしまう。

でも、参加するゲームは選ぶことができる場合も多いし、参加せざるを得ないゲームでも、コミットする程度は自分で調整可能な場合も多い。

ゲームから抜ける時は、「その価値軸を信じない」と宣言すれば(つまり、開き直れば)あっさり抜けられることもある。


苦痛がずっと続くときは、「参加しているゲームは何か?」と自問して、ゲームの背骨をなす価値軸を見つけると、少しだけ楽できるかもしれない。





そんなことをぼんやり考え始めた今日この頃であります。