今日の話題はこれ。
「日本に住む人たち」
最近どーにもこういう方向に頭が行っちゃいますな。
まあいいや、とりあえず進めます。
いわゆるリベラルと言われる人たちの言説に共感することの多い私ですが、彼らが総じて(と言っても、私の守備範囲はごく数人ですが)言うことの1つに、「日本人は市民社会ではない」とか、そういう類の主張があったりします。
大抵、みなさん「世界(欧米)では◯◯なのに、どうして日本人は××なんだ」と呆れ顔で語るんですけどね。
他の言説には「うんうん」なんて頷いたりする私なんですが、この主張(論調?)にはどうにも頷けないところがあるというか、考える余地がありそうだな、って思うんです。
(と、言っておいてそこまで真面目に考察しませんけどね。)
世界観が違うんですよ、きっと。(これを言っちゃ身も蓋もないかな?笑)
多分、良くも悪くも、欧米的な意味での市民社会にはなれないんじゃないかな。
私たちは、余程のこと(それこそ移民がバンバン入ってきて社会の構造が変わるとか)がない限りは、きっと社会的な出来事に対して健忘症気味のままだろうし、赤の他人には非情なまでに無関心だろうし、パブリックの概念が広く共有されることもないんだろうな(かく言う私も理解できているか極めて怪しい)。
もちろん、個人個人の性格は別ですよ。
あくまでも私たち日本に住む人全体の傾向としての話。
たぶん、私たちの性質の根本には「自然(無意識、無作為)」があるんじゃないかな、って思うんです。
それに対して、欧米の人たちの性質の根本には「宗教(意識、作為)」があるんじゃないかな。
私たちは、きっと時流に沿ってただただ「流れる」ように振る舞うし、欧米の人たちは積極的に「流そう」とする。
おそらく、私たち全体の振る舞いは、意志があるように見えても、実のところ、ポテンシャルの高いところから低いところへと流れているだけなんじゃないかな。
(「無宗教」とか、「空気を読む」なんてのもそんな気がします)
集団としては、特段、何を感じているでもないのではないでしょうか?
言ってみれば、無色透明な民族とでも言いましょうか。
別に、これが悪いわけでもないだろうし、佇まいとしては「あり」だと思うんです。
(たぶん、私たちのこの性質こそが、自然に恵まれた環境で生きてきた「幸せの証」なんでしょうし)
だから心ある人がリーダーになって引っ張って行くしかないんでしょうね。
世界を見渡せば、国際社会的にこんなに脆くて儚い佇まいの民族もそうはないと思いますよ。
他の民族によって殲滅されていないのが奇跡に思えるくらい。
今の奇跡的状況に感謝しながら、日々頑張っていこうと思います。