大人の格好良さ
朝から更新です.
さて,今回は「大人の格好良さ」についてです.
これは今まで書いたこと無かったと思いますが,ここ数年で「大人って格好良いなぁ」と感じる機会が度々ありまして,それについて「じゃあどこが格好良いと感じるの?」ということについて,ぼんやり考えていたことをここに殴り書きしておきます.
まず,格好良いと思う大人は,みんな自分を信じている.
これでもか,ってほど信じている.
自分の感覚に対して全幅の信頼を置いている人とそうでない人の差は何処に現れるか.
それは,(逆説的ではあるが)人を信頼するという場面で現れる.
どういうことか?というと,私が考えるにこういう事だと思う.
自分が「この人は信頼できる」と思ったら,例えその人が初対面であったとしても,信頼する.
これって,実は「その人」を信頼しているわけではないんですよね.
「この人は信頼に足る人物だ」という判断を下した「自分」もしくは「自分の判断力」を信頼しているんです.
そして,信頼された方もそのことをわかっている場合,「信頼してもらったからには,その人の感覚や自信に疑念を持たせないように,この信頼には応えなければならない」と(自覚的か無自覚的かはさておき)考えていると思われる.
信頼された人は,(多かれ少なかれ)利他的に行動するようになる.
そして,当たり前のように信頼に応えてやりとりを終える.
もし,信頼に応えられない結果になったとしても,(そこに悪意や怠慢がなければ)信頼した人は一切相手を責めることはない(少なくとも表面的には).
なぜなら,自分を裏切ったのは相手ではなく,自分自身もしくは自分の感覚だからだ.
信頼する側に偽善はなく,信頼される側に利己的な気持ちがないやりとり.
しかも,今まで数回しか会ったことがなく,お互いに深い話をしたことがない人達の間で,そんなことが,毎日,日本のどこかで当たり前のようにひっそりと営まれているワケですよ.
根底にこういう精神が垣間見られる人達のやりとりを見ていると,「大人って格好良いなぁ」と思うのです.
ちょっとキレイに書き過ぎたかなぁ 笑