いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

競争は嫌いです

更新です。

 

なんとなく、書く気になったので、タイトルのテーマでひとつ。

(追記:かなり雑駁な記事になってしまった。ぶつ切りの文章を書き連ねた支離滅裂なメモって感じの仕上がり 笑)

 

半分あきらめて生きる (内田樹の研究室)

ちょっと前に読んで、最近でも、ふとしたときに浮かんでくる内容です。

 

こういう記事って、今のルールに最適化しない(できない)人しか書けない内容だと思います。

 

と同時に、こういう記事を読んで響くのは、やっぱり今のルールに最適化しない(できない)人なんじゃないかなぁ、とも思うのです。

 

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 私は、競争することが嫌いです。

 

なんとも情けない話ですが、嫌いなものは仕方がない。

 

何が嫌かって、競争すると自分がもの凄く小さい人間であることをはっきりと自覚してしまうところ。

 

そして、必死こいて競争しても、心のどこかで自分の行為の無意味さを感じてしまうところ。

 

「 なんで、自分のイヤなところを見ながら必死こいて無意味なことしてるんだろう?」

 

なんて思うと、もう、馬鹿らしくて競争する気になれないのです。

 

つまり、負け犬根性丸出しの、もやしっ子なのです。

 

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競争にはルールがある。

少なくとも、優劣を決めるモノサシがある。

そのモノサシで人の何かを測り、その多寡を競う。

 

みんな、幼い頃から競争します。

ある年齢までは「運動」「頭の良さ(学校の成績)」「容姿」「人気」などがモノサシでしょうし、ある年齢以降では、「収入」「容姿」「交友関係」「家庭」「仕事での評価」などなどでしょう。

 

なんだかよくわかりませんが、集団でいると、そういうモノサシでどうにも個々の優劣が決まってしまう(雰囲気ができる)。

 

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私は、そういう競争に対して(内心は別として)無頓着に振る舞うので、周りから哀れみの目で見られることを感じることが時々あります。

 

まぁ、しょっちゅうそんな目で見てくる人がいると、イラッとすることもありますが、そこで張り合うとまた小さな自分を見なきゃならんので、大抵はじっとしてやり過ごします。

 

あと、今のルールに上手く適応して自分を最適化することを自慢げに語る(もしくは、自信満々に振る舞う)というのも、なんだかちょっとスケールの小さい人間であることを宣伝しているようで、ためらわれます。

 

最小コストで最大の効果を得る人が「賢い」というモノサシも、何だか近眼な感じがして好きじゃない。(世の中、その場その場で「賢い」選択をしたとしても、大局的には大間違いな方向に進むこともあるでしょう?)

 

 

ま、そんなこと言ったところで何にもならんのですが。

 

 

要は、自分だけは傷つかず、汚れずにキレイでいたいっていう気持ちが人一倍強いってことかな。