更新です。
この記事、ナナメ読みました。
僕らは「仕組み」を知らなくても様々な道具を使えているという不思議! -大彗星ショッカーのヒマつぶし2
今回は、あえてリンクは外してます (一応、リファレンスは示した、ということで ^^; ) 。
これ、結構前から考えてたことで、近々書こうとしていた話題に近い内容でした。
もっとも、私はとてもビビりで天の邪鬼なひねくれ者なので、穿った解釈で話題しようとしていたのですが。
ということで、元記事の話題から話を広げましょう。
人が (というよりも生き物全体でしょうが) 、今とは全く違った環境に置かれたとき、あるいは、従来の環境に見知らぬモノが入ってきたとき、それに適応しようとするとしよう。
その際、必要な条件は、たった1つ (だと思う) 。
「インプット」と「アウトプット」の関係性を理解すること
これだけ (だと思う) 。
たったのこれだけだ (と思う) 。
未知の環境・現象・物体に対する適応には、
「私が何をした」ら「どういう反応が返ってくる」か
が問題であって、
「私のしたこと」が「どういうメカニズム (プロセス) 」を経てそのような反応となるか
はあまり重要ではない。
だから、対象の環境・現象・物体に対して「適応する」というのは、対象に対する理解度でいうと初期の段階である。
これは、本質的な「理解」がなくても「適応」は可能だ、ということ。
事実、実社会において、私たちは身の回りほとんどの事象に対して「適応」のレベルに留まっている。
これは、自然のシステム、人工のシステムについて問わず、である (ここでの「システム」は、形而上・形而下を問わず構造をもつモノ全てを指します) 。
さて、問題はここからである。
自然のシステムはともかくとして、人工のシステムについて何の疑問も持たず無条件に「適応」するはどうなの?
ということです。
言いたいことはいつしかの記事と基本的に同じです。
自然のシステムも同様ですが、人工のシステム (特に電子機器など) については、私の「インプット」に対して生じる「アウトプット」はすべて「可観測」であるとは限らない。
特に人工のシステムに関しては、設計者の意図する機能が付与できる。
PCを例にとって極端な話をすると、PCに内蔵しているカメラは電源オフの状態でも作動し、カメラの映像をどこかに送っている可能性がある。
しかも、この可能性は (少なくとも私には) 新品のPCを購入した時から既に否定できない可能性であり、使用期間が伸びるにつれてその可能性は次第に高くなる。
なぜなら、私は手元にあるPCに対して「適応」しているだけであって、動作メカニズムを把握していない、そして、PCはインターネットを通じてさまざまな人の意図を「プログラム」という形で取り込むからだ。
ただ、ここ問題にしたいのは、ウイルスなどによる「後天的な機能」の話ではなくて、デフォルト設定された「先天的な機能」である可能性が (少なくとも私には) 否定できないという点である。
そんな可能性はとても低いだろうが (そんなことがあったら世界の誰かが気付いて大騒ぎなはず) 、でも否定はできない。
ま、全てにおいてそんなことを言っていたらいくら時間があっても足りないわけで、結局は信頼するしかない。でも、信頼しなきゃいけない事象が日に日に多くなっていることには気付くべきだ (恐らく、だが、先のPC1つとっても、すべての動作を完璧に理解している人など、もはや世界に一人もいないのではなかろうか?) 。
科学技術が急激に発展する世の中において、いわんや私のような凡人の実生活は「理解」あるいは「メカニズム (原理原則)」からどんどん引き離されているのだ。
この世は信頼の割合をどんどん増して発展している。
きっと今日みたいな明日が来るだろうけれど、実はとっても危うく脆い。
自分のためにも書き残しておきたいことは、私は身の回りの事象に対して「適応しているだけで理解はしていない」ということに常に自覚的であるべきだ、ということ。
さて、今の私たちは「適応すること」に「適応」していないだろうか?
【追伸】
最近、書くネタがこんな陰のあるものばっかりだなぁ。
なんかこう、もう少し、キラッキラするものないかなぁ。。