みかん食べつつ更新です。
今日の話題を何にしようか、決めかねているところなのですが。。。
えーっと
じゃあ、「自分の行動の動機を考えること」とかそういうことについてにしましょうか。以前書いた記事の内容ともかぶりますが。
最近、インターネット内で極端、もしくは、乱暴な言動が日常的に見られます。
ブログ等の「炎上」という現象まで起きています。
私がボケ〜っとしていて認識するタイミングを逸したからかどうなのかはわかりませんが、私にはある種の流行のような印象を受けました。
こういう言動や現象を見る度に、「なぜ、このような言動をするのだろうか?」という疑問が必ず湧いてきます。
一体、何に駆られているのでしょうか?
同じようなことを考えている方がいらっしゃいました。
ブログの世界では既に“消費”されてしまった記事かもしれませんが、考えてみます。
この記事では、タイトルの通り「自分は観客だ」と思っているから、極端なことや、乱暴なことを発信できるのだ、と整理・理解しています。
もし、仮にこの理解が本質を捉えているのであれば、かなり危険な状態だと思います。
これは、思考が停止した状態です。
思考停止状態で他の人に何かアクションを起こす場合、その行動はとてもコントロールされやすい。
例えば、ブログの「炎上」なんかは、思考停止状態の人が特定の人のブログに火を付けるはずがない。
思考停止状態の大勢の人を利用して、「炎上」させようと明確な目的を持っている人がいるのだ。
この騒ぎに乗じて「炎上」に荷担する人は、火付け役の思うツボなのです。
自分の行動が人にこの手の制御されて良いことは、恐らくない。
「危険な状態」と知りつつお遊びに興じているつもりでも、時間が経てば「観客意識」が染みつき、いつかとても痛い思いをするはずです。
これは「いつか個人的に不利益を被る」場合だけでなく「思考停止状態で行動する全ての人、もしくは、それ以外の人も含む全体が不利益を被る」場合も考えられます。
そうならないように、「自分の行動の動機を考えること」を意識して行動したいと常々思っています (実際のところ、出来ているかと問われると自信はありませんが・・・) 。
考えると結構、顔も知らない誰かにデザインされた行動をしていることに気づきます。
ものすごく卑近な例だと、階段とエスカレータが並んであるとき、どっちを使うか、とか。
「楽だから」エスカレータを使う。
これは、設計者だって当然予想できるので、そのことまで織り込んだ建物の設計がなされている可能性は高いです。
つまり、建物によっては、エスカレータ付近に限らず、私の動線は設計者によって綿密にデザインされているのです (かなり穿った見方ですね。私、ひねくれ者なもので 笑) 。まあ、そんなこと言ってしまえば、どんな建物でもその存在自体が建物の外、壁が建物内の動線をコントロールしてるのですが。
日常生活において、自分の行動が何者かによってコントロールされている事例などごまんとあるはずで、それらにたいしてどこまで自覚的であるか、コントロールする手段にどれだけ気付いているか、ということは、特に科学が進んだ (ということは、人をコントロールする技術も進んだ) この世界で、この先とても重要な素養である気がします。
きっと、私たちはもともと「不自由の中の自由」とでも言えるような世界にいるのだと思います。だから、せめて「本来は自由であるはずの領域」を自分で狭めないようにしたいものです。
【追伸】
なんだか、最初と最後で話がずれちゃったなぁ (でも、直さない) 。
さて、タイトルどうしよう。