あえての不自由さ
ちょうどいい言葉を見つけたので更新です!
この記事斜め読みました。
障害を持つことやダメな生活を送ることへの憧れ - ロックンロールと野球とラーメン
この記事の中で最近考えているものを表すちょうどいい言葉がありましたので引用しますと
時々「あえての不自由さ」という個性を持ってみたいと思う時がある。
この「あえての不自由さ」という言葉。
これは、リンク先の記事の方とは意味合いが違いますけれども、私も「あえての不自由さ」を求める傾向がある。
前回の記事も、本当は「あえての不自由さ」みたいな言葉でまとめたかった内容だったのです。
「不自由であることを楽しむ」って、とっても贅沢だと思いませんか?
例えば、旅行なんかでも、予めネットで下調べすれば効率的に名所を巡ることはできる。あるいは、旅先、もしくは、道中で携帯・スマホで調べれば迷わずに旅行できる。
でも、私は何も調べずに携帯も使わずに非効率に旅することが多い。
要所要所で立ち止まっては地図を広げて現在地を確認して、わからなくなったら近くのお店の人に尋ねて。
当然、名所はろくに巡れず、道に迷い、大しておいしくもないお店で晩ご飯を食べる羽目にはなるのだけれど、それでもいいのです。
「偶然を楽しむぞ!」って気持ちで行くので、そんな良くないことですら楽しめます。
私の場合、知らない土地で道に迷ったりしたら、かなりわくわくします。
別に、旅行みたいな特別な時じゃなくても、私は自分の生活に支障が出ない範囲で便利とされるモノを使わずに不自由さを楽しもうとしています。
モノに使わされないように気をつけながら。
その方が、自由でいられる気がしますので。