いいかげん日記

思いついたことをただひたすら書き殴るいいかげんな日記です。

行動-動機、我慢・努力。

更新です。

 

ときどき休みます

 

大人はそれを我慢できない - いつか電池がきれるまで

 

読みました。

 

最初のリンクのお子さん、か、かっこいい。。。

 

この子が本音で話しているならば、かっこよすぎます。

 

何がかっこいいって、他人からの評価をモチベーションにしていないところですね。

 

自分の信念に従って行動する人っていうのかなぁ。

 

私、そういう人は年齢や性別関係なく (いや、若ければ若いほど) かっこいいと思います。

 

 

私の経験では、小中学校のとき (に限らないですが 笑) って、周りの人 (当時であれば、両親、先生、友達のどれか、もしくは、全て) の評価を基準に自分の行動を決定する傾向にあると思います。

 

そして、本人達が自身の行動の裏に「そんな動機がある」ということに無自覚だったり (あえて考えなかったり) する。

 

リンク先の彼には「そんな動機」が薄いのか、それとも自覚した上での行動なのか (ブログ主さんからの評価を上げるため、という可能性もなくはないですが。。。) はわかりませんが、とにかく、自分の納得を経ての行動のように見受けられます。

 

立派です。

 

2つめの記事の方は1つめの記事から、「我慢」をキーワードにして大人と子どもを対比させてます。

 

子どもが我慢したり、地道な努力を続けられるのは、「これが将来の自分にとって、きっと良い結果をもたらすはずだ」という「希望」があるからなんだな、と。

 「大人なのに我慢できない」のではなくて、「大人だから、我慢するのがどんどんつらくなってくる」のだなあ

 

なるほど、そうなのかもしれない。

でも、私の体感とは少し異なる切り口ですね。

 

私も幼い頃、私なりにかなり多くの我慢と、我慢よりは少ないけれど地道な努力を続けていました。

 

でも、振り返ってみるとその動機は「そうすることで、誰からも怒られず。波風たてずに、円滑に毎日を送れるから」というものでした。

 

ま、当時はその動機に適当なレッテルを貼っていて「誰からも怒られないし、ほめられるから、そうすることが正しい在り方なんだ」みたいな考え方をしていましたが。

 

(もちろん、全ての努力がつまらなければ続くワケがないので、努力の中にも楽しみを見つけていましたよ。中には努力とも思わずやっていたことだってあります。我慢の方は、無理矢理飲み込んでましたけどね。)

 

私が思うに、動機としては「今、この場で」期待されるものの方が「将来、どこかで」期待されるものより強いし、ある程度 (小学校に入るくらい?) 大きくなった子どもの行動原理は大人とそれほど変わらない。

 

だから、「子どもの頃に我慢・努力ができて、大人になるとしなくなる」というのは、モチベーションの質の変化というよりも、バランスとか配分とか、そういう「程度の問題」なのではないか?と考えるのです。

 

子どもの頃は、(関わる人の数も多くはないので) おそらく周囲の評価に対して安全側に振っておく、それは「 (少し的外れな言葉ですが) 実現可能な生活パターン」がそれほど多くないから、1つを失うとかなりの損失になるというのが理由だと思う。

 

でも、大人になると、関わる人の数も多くなり、それにともなって「実現可能な生活パターン」は増えていく。そうすると、関わる人の中でも優先順位が生まれ、優先順位が低い人に対しては我慢をある程度サボっても何とかやっていけるようになる。努力もしかり。

 

原因は色々でしょうけど、「今回の私は」こんな切り口から解釈してみました。