お話の記録
更新です。
今日は所用で1人お出掛け。
お出掛けから帰ってきて感じたこと (前々から感じていたのですが) ・思い出したことを1つ。
まぁ、私は現在某大学院生として日々活動をしているわけですけれども、そんなアカデミックな世界に数年いて色々と「アカデミックな場所」に連れて行ってもらうと、この世界とその周辺世界に住む人達の繋がり方に気付くのです。
ある側面から見ると、血縁のような繋がり方なのです。
現在、大御所の先生方にも当然のことながら学生時代というものがあり、各々のお師匠さんの指導を受けておられるわけです。
そして、お師匠さんというのは何人ものお弟子さんを鍛えて世に送り込むわけですが、そのお弟子さんたちのごく一部はアカデミックな世界に残るのです。
すると、同じお師匠さんの元で鍛えられたお弟子さんたちは、その世界に残るとしばらくはみんな「○○先生のお弟子さん」として認識されるのです。いわば、兄弟です (まぁ、兄弟弟子ってやつですよね) 。
だから、アカデミックな世界は○○家じゃないけど、何となくそういう血筋みたいなものが幾重にも重なってできていることに気付くんです。
でもそのうち、「○○先生のお弟子さん」がその世界の大御所になるんですよね。そうするとそれぞれが「××先生」「□□先生」…となり、(バックグラウンドを知らない) 他人からは新しい系統として見えるようになるのです。
そんなこんなで、私も今まで無関係だと思っていたその世界の超大御所として知られる先生の孫弟子に当たると私のお師匠さんから知らされたときは不思議な気持ちになりました。
その頃は、その世界のことを全く知らない、知識ゼロの (今はイチくらいはあるかな?) 学生でしたから「あの先生とお前は実は関係がある」とか言われても、「いやいや、あのおじいさんと私は関係ありませんよ」みたいな気分になりますしね。
こんなことを思うと、学問ってみんながバトンを渡すように受け継いで、ジグソーパズルを組み立てるように創っていくものなんだなぁ、と感じます。
これは私のお師匠さんが言っていたことですが、「学問は放っておくと消えてしまう」のです。
消えないようにするために、みんなで後世に伝えて、発展させるために、現状で不足している知識 (穴) を少しでも論文の形で埋めて行く。だから論文は、どんなに小さな穴でもそれを埋めるものであれば、大きな価値がある。
そんなやりかただから、でもそんなやりかたしかないから、現状では、穴だらけで継ぎ接ぎだらけの学問だ。でも、いつか全部の穴が埋まったとき、整理されてキレイな学問としての形が完成するだろう。
「そんな壮大な挑戦なんだよ」とお師匠さんは言うのです。
なかなかのロマンチストです 笑
でも、こんなことを頭の片隅に入れながら仕事ができるのは素敵なことだと思います。
(時間的にも空間的にも) 全体を意識しながら日々の仕事をこなすこと。
まぁ、常にはムリですが (というより、必要ないですが) 、折に触れて思い出したいお話です。